8人きょうだいの末っ子
琉球新報の「セピア色の春」(高校人国記)を読んだ(31日)。沖縄工業高校を卒業した伊佐順光氏の足跡を紹介している。伊佐氏は沖縄工業高を卒業して沖縄電力に入社し、後に労組委員長となる。復帰前の連合沖縄の初代事務局長、沖電開発の社長を務めた。労働運動で活躍し、労働者の権利、生活の向上に貢献された。
今朝の「セプア色の春」の一節を引用しよう。
「伊佐は粟国村出身で、8人きょうだいの末っ子に生まれた。島の生活は貧しく、ソテツを食べる日々が中学に入るまで続いた。―――高校に進学すると授業料を払うため兄の靴を質屋に入れたことがある。学費を稼ぐためアルバイトに明け暮れた」
伊佐氏は現在81歳、当輩と同世代である。8人きょうだいの末っ子。子たくさんの貧乏家庭で育った。貧しくても子どもたちを育てる親の愛情、歯を食いしばって生きる子の心情が察しられる。
大浜信泉先生の言葉が肝に響く。
「人の一生はどこで生れ、どこで育ったかで決まるものではない。いかに努力したかで決まるものである」伊佐氏の人生が大浜先生のお言葉を裏付けている。
子どもの貧困が社会問題となっている現在、世間の人々が大浜先生の言葉をかみしめてほしい。子どもの貧困の連鎖を断ち切るには、親の愛情と子どもの克己心を育てる教育が必要だ。
伊佐氏は幼い時から貧しい家庭で育ったが、成人して沖縄の労働運動のリーダーとして活躍し、労働者の権利、生活の向上に貢献した。現在は、昔のような貧困生活をしている家庭はないでしょう。子どもの貧困が社会の注目をあつめ、貧しい家庭の子どもに手を差し伸べる社会運動が盛んになっている。子どもの貧困を経済的に支援したからと言って、その子たちが成長して貧困の連鎖を断ち切ることができるでしょうか。
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