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母の恩は忘れない

母の恩を忘れない(8月13日)

 9日(金)午後6時過ぎジョギングで石嶺団地の裏を通るといつもの場所に団地のお年寄りが数名集まっている。70代の男性が一人いた。手を振るから道を横切っておしゃべりに加わった。

男性とは何回か会って親しくなった。彼から話を聞いた。彼が言った「母の恩は忘れないね」と。どんな母親でしたか。

 糸満で生まれ育った。父は漁夫で兄弟が9人。男5人、女4人。自分は末っ子だった。貧しくて毎食魚を食べさせられた。母は朝、父が捕ってきた魚を売りに行く。夕方帰ると料理、洗濯と夜まで働きっぱなしだった。母は泣くこともあった。僕も泣いた。

 母を手伝うため高校進学を諦め働いた。給料は小遣いだけ取って全部母にあげた。

 山梨県の土木現場に出稼ぎにいった。母の死に目にも会えなかった。母の恩は今も忘れない。無法者そうな男が唇をかみしめて語る。自分の身と重なる。